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王様の耳はロバの耳

Aちゃん、その後

警察に行き被害届を提出。若い子のやることはスパスパしてるけど、あまり強権ばかり発動しているとどうなのか?と思ってしまう。

だいたい、この子、法曹界で身を立てるため専門学校に行ってた子で、大学も某有名大学だ。話を聞いてると、どうもキンキンしすぎていて戦闘的な性格の子だ。弁護士さんには人間的な暖かみが必要なのだけど、そういうものを感じさせないのは、性格からか?ついつい、「この子が検事、判事、弁護士のいずれになっても、トラブルの火種を大きくするだけで根本的な解決はしないのではないか?」と思ってしまう(苦笑)

僕も若い頃、やはり遵法主義で、曲がった頃が嫌いだったし、人が法に外れるようなことをするとトコトン責めたものだが、歳とともに、譲れるところは譲るという姿勢に変わってきた。ひとつには、そういう揉め事が世の中多いので、いちいちもって個人の権利を主張していたらキリがないし、そんなとこに首を突っ込むほど暇でもなくなった。

嫌なこと、不得手なことは、気持ちよくアウトソーシングすることにして、自分とは離れた場所におくようにしている。それでなくても神経を逆撫でするようなことが多いからね。

そういう意味では、複数の「先生」と呼ばれる人とお付き合いしているが、総じて年長の方は事なかれ主義に写るときもあるが、最近ではそれもひとつの手段だと感じるときもある。

彼女もいい子なのだから、キンキンせずに大らかな態度を身につけてもらいたいものだ。得てして若い頃はそうできないのは知ってるけど。

Aちゃん、元気でね!
# by fighting-falcon-j | 2006-08-25 14:43 | 遊び

ヤバ系

某所の高級クラブでヘルプとして働いていた、仮にAちゃんとしておこう、彼女から深夜にメールが入った。

つい先だってお店を辞めたばかりで、また、お店を辞めたあとのご指名かいな?と思ったが、内容はちょっと深刻なことが書いてあった。

お客にヤバ系(○暴系)の人がいて、彼女にご執心のようで、彼女の男友達のところへ、「手を引け!さもないとブッ殺すぞ!」とのお電話がきたのだそうだ。

だいたい、彼女、ある理由があって、そのお金を貯めるために数ヶ月だけ働いていた子だ。ルックスもスタイルもキャリアもファルコン好みの子で、ちょっとジャブをだしたこともあったが、僕は袖にされてしまった(泣)

可能性として、○暴さんに援助されて、その後足取りが掴めなくて脅迫ということも考えられるが、ちょっと考えづらい。だいたい、そんな相談を親しくもない僕にするのはどういうことなのか?はっきり言って疑問だらけだ。

もしかして、その脅迫男が僕だと勘違いして、牽制の意味で電話してきたのかなぁ・・・・ってことは、僕って○暴系に見られたの!!!???(爆)

そんなことを考えながら、別の銀座の女の子と電話で話していたとき、同じようなことを聞いたら、やはり、高級クラブの売上にしめる○暴系の金額は相当な数字を占めるようで、そのような場所に筋の人の出入りが全くないというのはありえないことのようだ。

かくいうこの子も、○暴系に好かれて困った経験があり、やれ「マンションを買ってやるからそこに住め。」とか、やれ「月々いくら欲しい?」とかの話しばかりではぐらかすのに一生懸命した経験があるという。

そういえば、お店の浴衣祭りのとき、この親分さん、真っ白な麻の浴衣を粋に(本人はそう思っていたらしい。)着てきたそうだが、白いので、身体のいたずら書きが透けて見えてしまい、この子、目のやり場に困ったとかいってたな(笑)

別のお店でも、やはり○暴系に好かれ日曜のデートに誘われ、この子は断ったらしいが、もう一人の子が行ったら食事の後にホテルに連れ込まれそうになってたいへんだったとか・・・まぁ、○暴でなくてもそういうことはするけどね。

とにもかくにも一般人はそういう人とあまりお近づきになりたくないものだが、意外な場所で接点があったりするので、気を付けて遊ばないといけないね。

それにしても、Aちゃん、大丈夫かなぁ。警察に行くとか言ってたけど、その後連絡ないな。
# by fighting-falcon-j | 2006-08-21 15:14 | 遊び

夜になると、時雨が決まって降る。僕の別宅のあたりは窪地になっているのか、雲が停滞しているようだ。
霧になっているように感じるが、実は雲の中にいるのだろう。例年、梅雨明け前とお盆過ぎは霧の日が多くなる。

ミストの中にいると、回りの草木の匂いを余計感じる。

寒さも感じるので、暖炉に薪を投じる家も多くなる。

高度成長時代は、お盆が終わるとシーズンオフになり、帰る人が多かった。街のお店も閉店する店もあった。もっとも、地元の生活必需品の店は開いているのだが。

1980年代から、徐々に営業時間が延び、今のようになったが、昔のメリハリのある街の風景もよかった。

森もシーズンオフになると、家々の明かりが少なくなり、回りは闇に包まれる。

人間の談笑している声、生活している音が消え、森は静寂を取り戻す。

街を歩く人も少なくなり、華やかさが消える。

寂しくなる。

帰りたくなる。

夏が終わった・・・・
# by fighting-falcon-j | 2006-08-18 18:14 | 自分

幼稚園や小学生のときは、それなりに楽しんだ記憶がある。

例えば、昆虫採集。

農薬の規制が緩やかな時代だったのか、世の中が裕福になるにつれて、街の中にカブトムシやクワガタがいなくなった。開発による木々の伐採とかの環境破壊も原因だろう。

高山にしか住んでないような虫もいた。アリなんか、ジャンボサイズで、最初見たときはビックリした。土地も浅間山の火山灰によるものだろうが、細かな軽石っぽい石が多数まじり、それに土が絡んでいた。

日陰にはコケが生え、木漏れ日の間から空をのぞけば、入道雲が信じられないほどの早さで成長している。

街中とは言っても地方都市出身の僕には、ここでの外食も楽しみだった。鹿島の森ホテルが旧軽ゴルフの相向かいにあるが、昔は、土日の夜は子供向けアトラクションを催したものだ。そこのアイスクリームは、当時ハーゲンダッツもない時代だったので、ビックリするほど美味に感じた。

榮林の中華料理で一番の好物は餃子だった(笑)これはどこのガキんちょもそうらしく、大量の餃子が各テーブルにあふれていたが、小学生を卒業したころには、メニューから削除されていた。オヤジが「手間の割りに儲からんからだろう。」と言っていたが、本当のところはどうなのか?

日本の普通の餃子が、中身が野菜だけなのに、ここのは肉ばかりで、こんなおいしいものが世の中にあるのだろうかと思ったものだ・・・思えば貧しい食生活だったのですね(笑)

そういえば、初めてアメリカに一人で暮らしていた留学時代、近くの中華料理屋に入り浸って、餃子とチャーハンばっか、食べてたっけ。あちらの中華料理で食べて、懐かしい昔の味がしてパクパク食べたもんだ。

今でも、たまに向こうに行くと、一人中華料理屋に行って、点心とビールだけ頼んだりしてる。ボーイには嫌がられるけど、自分なりのテーストなんだから仕方がない(苦笑)何故だかわからないけど、ヨーロッパやアメリカの中華料理のほうが香港とかに比べると食べやすい。本場はいろいろあって味を覚えきれてないのが原因だと思う。

好物だったのは、それと、チンジャオロース。ここで味を憶えて永谷園のクック・ドゥがでたとき、早速買った(笑)でも、味はやっぱ、全然違う。そういえば、海外でこれを食べておいしいものにぶちあたったことがない(爆)あれって日本風にアレンジしたのかなあ。

疲れたので、まったね(続く)
# by fighting-falcon-j | 2006-08-07 19:41 | 自分

軽井沢・「榮林」

赤坂だったと思うが、本店の出店として夏期の間のみ営業していた中華料理店で、たぶん、軽井沢では一番の老舗だと思う。

今から思うと、外食とか普通にしない時代だったので、田舎育ちの僕としては、軽井沢に行く度、ここで家族で食事するのが楽しみだった。

最初は、中庭までの店だったが、繁栄とともに、中庭を半分潰して別館を建てた。

営業日も、お盆終了後で終わりだったのが、旧軽銀座の街のアウトレット化(1980年代)に伴い、オフ・シーズンも観光客が増え、長く延びた。

もちろん、飲食店の数も増えた。出店しては消える中で、長期にわたって営業してきたお店の一つだ。

合い向かいの駐車場は、元は、乗馬用の馬小屋だったところだ。

そういえば、昔は、「サイクリング、テニス、乗馬」がここの余暇の過ごし方だったが、1970年代には乗馬が消えた。維持費がたいへんなのと、道が舗装化してきたからだろうね。当時は道の真ん中に馬糞がコロコロ落ちてたけど、いなくなったら、見なくなった。

当時の榮林も様子も、記憶の中で鮮明に残っている。

最初、本館+中庭の営業だった。篝火を炊いて、外で食事した。中庭はしばらくすると拡張された。外のテーブルが増えた。ただ、雨が降ると、外はダメになるので、その後、別館を建設したのだろう。

最盛期は、ものすごい客数だった。ピーク時(7月20日頃から8月中旬まで)は連日、外にお客があふれかえる。店内の回りを見渡せば、政財界のお偉いさんが、ラフな格好で食事をしている。そんな中で食事をしていると、自分のステージが上がったような気になるのは不思議な話しだ。

もっとも、首相経験者を含め、政界のトップがここに別荘を持っていたので、夏期の間は、ここが永田町や赤坂・銀座に変身したのだろう。さすが、家族同伴が基本なので、クラブはないと思うけどね(笑)

記憶にあるところでも、佐藤栄作、中曽根康弘、三木武夫、田中角栄、等々。彼らが別荘に来訪すると近所はすぐにわかる。何故なら、森林の道の角々に避暑地の光景とは不釣合いなスーツ姿のSPが立っているからね。

道歩く人に「どちらに行かれますか?」などと尋ねたりしてるけど、そのうち顔見知りになってフリーパスになる。こちらは最初のうちは、自分の家に戻るのに詮索されて嫌な気分だったが、よくよく考えれば、無料でガードマンを雇ったようなものなので、そのうち気にならなくなる(苦笑)。

昔の首相は強引で、軽井沢の別荘に行くのに、パトカー先導で、碓氷峠を通行止めにしては首相専用車で走っていたものだ。特に印象が強いのは佐藤栄作。軽井沢バイパスもなかった時代は、これだけで大渋滞になる。けど、皆、それを当然のように思っていた時代だった。

その後は、そんな風景が少なくなったかわりに、特急「あさま」のグリーン車に政財界の人が多数乗り込むようになった。今は、どうなのだろうね。

夕方になると、霧が立ちこめたり、夕立が決まって降ったりして、木の香りとミストの香り、そして暖炉から排出される木の燃える香りが、僕の軽井沢のイメージだ。軽井沢は昼よりも夕方から夜にかけての雰囲気が好きだ。

疲れてきたので、続く(笑)
# by fighting-falcon-j | 2006-08-07 12:01 | 自分



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by fighting-falcon-j
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